失われた時を求めて
会長

私をあまり知らぬ人達から今でも時々言われることがある。
“タバコ吸うんですね。”
“タバコは体に悪いよ。”
“禁煙したら?”
“今の世の中の流れは禁煙だ。 ”
それに対して私は
“吸います。 ”
“たぶん、他人の趣味にあれこれ言うあなたよりは心身ともに健康だ。 ”
“意志固く喫煙を貫く。 ”
“流れに流される生き方はしたくない。 ”
と答えることにしている。
そして、私を良く知る人達はそのようなことは言わない。
言っても無駄と思っているのか、言ったらその何十倍もの辛辣な攻撃を受けることを知っているかのどちらかなのだが。
こうして、文章にしてみると ……偏屈である。
頑固である。
人の意見を聞かない鼻つまみ者である。
しかし、私は 20の頃から(頃からである。最近都合の良い記憶しか残っていないと自信を持って断言する)ずっと喫煙しているのである。
それも含めて私のスタイルだ。
禁煙の風潮は、その私の数十年の生き方を否定しているのである。
人ひとりの人生を否定しているのである。とんでもないことである。
一人の人間を否定することと、頑固であるという事実とどちらの方が非人間的な所業かといえばまったく議論の余地無く前者が槍玉に挙げられ排除されるべきであろう。
概して世の中の流れなんていい加減なものなのだ。今まで、同じ事柄の評価が時間とともに 180度変わってしまうという事例を何度も見てきた。( For example 田中角栄、EU、核技術、ゆとり教育などなど)そんな世の中を見てきた私は、法律に反しない限り自分の経験に基づく判断をなにより重視し主張し実践する。(重視するのはかまわんが主張したり実践するのが問題だという意見があることを私は知っている)
人の目を気にしながらコソコソと人に合わせようと汲々とする生き方をしようとしても私は長続きしない。圧制型組織に属せない性分のようである。
私を良く知る一人であるところのカミさんに言わせれば、私は取り留めの無い話ってぇやつができなくて人付き合いが下手な、どこかに重大な欠陥がある人物らしい。
近い将来、タバコは精神衛生上非常に有益であり、それを嗜まない(嗜めない)連中は、重大な欠陥があり社会からはじき出され人間扱いされなくなるような世の中、そしてこの禁煙運動が吹き荒れた 21世紀初頭が暗黒の時代と呼ばれ、魔女狩りに匹敵する唾棄すべき時代であったと言われ、それに耐え抜いた我々が第二次世界大戦時のナチスに対してのフランスのレジスタンスと並び称される英雄達であったと語られる日々が来ないとも限らない。それは時代が私に我々に追いついたときである。
今は世の中の流れに背を向ける人という批判を甘んじて受けようではないか。
ちょいとばかし昔には横丁には必ず一人や二人頑固な偏屈親父がいたものである。
そのうち着流し姿でパナマ帽をかぶりステッキを持ちながらパイプを咥え、街を闊歩し “無礼者!” と一喝する爺さんになる自分を思い描いて一人悦に入っている。