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煙草と残り香の話

かふぇいん

世間的にスモーカーと言えば四六時中モクモクさせているイメージがあるが、意外にも家の中では吸わない、と言う人間も珍しくない。
かくいう私も諸事情あって家の中は完全禁煙にし、煙草を吸うときは喫茶店に出かけるかベランダに椅子を据え付けることにしている。そう言う訳で突発的に煙草が吸いたくなっても面倒で止めておくこともあり、買い込んだ煙草も中々消費が進まない。


しかし何かしらの用事でホテルに滞在するとなったら話は別だ。喫煙室をとって旅行鞄のスペースの許す限りタップリの煙草とパイプを抱え行くことにしている。チェックインして荷物を解いたら椅子に座って早速ワンボウルやり、部屋にいる限り延々と煙を吐いている。書き物をしながらプカプカ、バスタブで湯に浸かりながらプカプカ、ベッドの上でプカプカ。普段気軽に吸えない腹いせとばかりに吸いまくる。
基本的にビジネスホテルなんていうものは素泊まり宿みたいなものでわざわざ長く居たいと言う人は少ないだろうが私の場合は日程の許す限り居座わる。何故なら四六時中煙草が吸えるからだ。そんなわけでホテルに持ち込んだ衣類やらは全て煙で燻されてしまい、家に帰って旅行鞄を開けると大変に煙草臭い。


ただ不思議なことに衣類は煙臭さ、ヤニ臭さを放つのに対して部屋自体は独特の香りに包まれる。用事から帰ってきて部屋のドアを開けると暗闇とお香のような古い部屋のような…何とも郷愁を誘うような空気が出迎えてくれる。
 

そう言えばメンテナンスの十分にされていないようなエステートパイプを買うと共通して香る香水のような独特の香りがある。世のパイプスモーカーがみんな同じ煙草を吸っているわけでは無いのだからある特定の銘柄の香りという訳では無いだろう。現実的に考えると恐らくは殆どのブレンドに共通して入っているであろうヴァージニア葉や防腐剤あたりの匂いなのだろうが、紙巻きは勿論のこと葉巻とも異なるパイプ煙草独特の何とも心安らぐ香りだ。
 

この不思議な香りを嗅ぐと私は実家にある祖父の書斎が連想される。暑い日の午後、雑多に積まれた古ぼけた本の山に囲まれてワクワクしながら小説の文字を追った幼少の頃の光景が過ぎるのだ。祖父が亡くなって大分たち、あの夏の一光景は遠い昔のことになったが、未だにふと異様に鮮明に思い出される。祖父も父もパイプは勿論のことシガレットも私が生まれてからは吸わなかったとのことなので煙草の匂いとは関係がないようだが何故かとても懐かしく慣れ親しんだ香りのように感じるのだから記憶というのはかくも不思議なものである。

私にとってパイプというのは時折幼少期へと戻らせてくれるタイムマシーンでもあるのだ。

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